デート

「ねぇパパ」
 そう呼ばれて、1人の男性が振り返る。
「何だ、キィ」
 男性を呼んだ張本人は悪戯っぽくはにかんで、すぐ近くにあった木の影に隠れた。散歩途中の森の中、太陽の恵みでさえも大地には中々届かない空間で、少年はにこにこ笑っている。
「パパ、あのね……」
 影からぴょんと飛び出して、木の根っこに躓かないように下を見ながら走る。その勢いのまま男性に抱き付く。丁度少年の頭が男性の太ももの高さなので、男性は太ももに抱き付かれている事になる。
「キィ、歩きにくいよ」
 男性は苦笑しながら言う。キィ少年はそれを聞き、1度顔を太ももに押し付けると離れた。そしてすぐそこにあった父親の手を掴む。男性は手に子どもの高い体温を感じて、開いている方の手で息子の頭を少し乱暴に撫でた。

 そのまま暫く歩く。男性がゆっくり5歩くらい歩いた。キィはもっと歩いた。キィはじぃっと地面を見詰めて、「忘れてた」と小さく呟いた。男性にはそれが聞こえたので、「ん?」と聞き返したが

「パパ、そういえばね、雨。雨ね、どうやって出来るか知ってる?」
 キィが口早に言うのに隠れてしまった。男性は気にせず、どう答えるべきかを思案している時、
「僕昨日知ったんだよ!」
 と嬉しそうにキィが言うので、男性はやっぱり嬉しそうに笑って話を聞く事にした。
 いくらか科学的な事を言うのか、それとも子どもに大人がよく聞かせる物語か。男性は恐らく後者であるなと思いつつ、少年に話して聞かせるように言った。小さな息子は、大きく頷く。

「あのね、まず、雨のセイレイさんがかいぎをするの。木のセイレイさんや花のセイレイさん、川のセイレイさんとかいっぱいよんで。そしてね、雨をふらせるか決めるの」

 ほら、やっぱり物語だ。精霊崇拝はこの土地に昔からある物だから、どちらかと言えば神話に近いかも知れないが。男性は「決まったらどうするの?」と続きを促す。キィは父親がきちんと話を聞いている事が確認出来て嬉しいのか、興奮気味に頷いた。繋いでいる手に力がこもる。

「決まったらね、雨のセイレイさんはくものセイレイさんに会いに行くの。くものセイレイさんはねぇ、キラキラの氷のかけらでできてるからとってもキレイなの。でね、くものセイレイさん、空気の中にいっぱいいる水を集めて、ふーって息をかけるの。くものセイレイさんはね、氷でできてるから息冷たいの。水こうっちゃうの」

 確かに、雲は空気中の水分が冷えた物だが……。妙に交じり出した科学的な部分に、男性は怪訝そうな顔をする。少年はそれを、男性が理解していない故だと思ったのか
「パパ分かる?」
 と心配そうに訊いてくる。男性は息子の勘違いをいい事に、先を急かして誤魔化す事にする。 
「分かるよ。で、凍っちゃったらどうするの?」
「うーんとね」
 いつもと逆の立場だからだろうか、父親に物を尋ねられるのがよっぽど嬉しいらしい少年は、父親の算段等知らずにどう話して聞かせるかを考える。 

「こうったらもっと集めて、粘土みたいにこねこねするんだよ」

 キィは手を使って「こねこね」の説明をする。繋いだ手を離さないので、少しへんてこりんだった。

「そしたらそれに、くものセイレイさんと雨のセイレイさんが乗って、雨をふらす所までデートするの」
「デートするの?」
「うん。だって雨のセイレイさんはくものセイレイさんのコイビトだもん」
「そうか……それは知らなかった。じゃあ梅雨は毎日デートだ」

 父親が知らなかった知識を得ていた事に、少年は勝ち誇ったように笑むのを男性は見詰めた。最近読んだ科学者の伝記に、学会の謎を解いた時の歓喜が記されていた事を、何となく思い出す。少年にとっては、父親の知らない事は何かそういう凄い事なのだきっと。

 日が傾いたのが、風の温度で知れた。木漏れ日も心なし力が弱まっている気がした。

「でー! 雨をふらせる所まで来たら、雨のセイレイさんがこうってるのをとかすの。そしたら雨になるんだよ」

 澄んだ空気を震わせる声を、男性は満足気に聞き、少年の頭をくしゃくしゃ撫でてやった。
「もうすぐ出口だ」
「うん!」
 キィは楽しそうに笑って、父親を破顔させた。大分木が減ってきて、太陽がオレンジ色になっているのがちらちら見えた。
「あ、ママ!」
 行く先に、すらりとした女性の姿。少年は走り出す。どれ程か前に父親にしたように女性にも抱き付いた。男性は子どもが自然に手を離してしまった事を思いながら、しかしそんな事全く表情には出さずに、少しだけ早足で息子に追いつく。
「お迎えありがと」
 と彼女の頭を優しく撫でた。

「月野ちゃんだろ? 雨の話吹き込んだの」
「あ、やっぱり分かります?」

 帰り道、クスクス笑いながら話す2人の後ろを、キィがついて行く。ちょっと長い影の2人の間に挟まれて、キィは上を見る。雲がいくつも棚引いて、空はまだ青いのに桃みたいな蜜柑みたいな色に染まっている。

「キィ、上ばっかり見てると転けるよぉ」

 月野が振り返って声をかける。キィはそのいきなりの声にびっくりして何も無い所で転んで、父親に少し笑われた。その罰としてキィを背負う事になった父の背で子どもは眠る。「こいつ科学者の素質あるよ」なんて親バカも、当の本人には届かない。


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06.07.09