美しい傷痕

「薫物合わせしけり」
 女、振り返りつつのたまう。白色の衣の裏地が赤く、透けて見えたる美しかりけり。天人のごとき香の薫りたるも夢のごとく、男は見惚れけむ、声すら出さぬ。

 やうやうと夜の舞い降りる。
 灯りつけ、庭を眺めたる男に寄る。
「麗し、気怠きまで」
 ささやき。
 聞こし召しける女、呼びかけつつ男に小さく触る。
 思いついたるもろもろ口ずさむ。女の口つきは愛らしく、ほんのりと輝くよう。
「汝兄や」
 呼び掛け。
 くちづけ。
 朝になれば、別れなくてはならぬれば。

 男が二の腕に十字の傷痕あり。知らし召したる様子の女、柔らかく撫づ。
 口重し、しかし、妻夫ならばとぞ思す。
「なにぞ」
 問い掛ける女の声の響き渡る。
「なにそ」
 男、拒みて項垂れる。
 女は目を伏せ顔を隠し、小さく頷く。
 そして痕に唇を触れさせ、寄りかかり、何事か呟きけり。
「ん」
 返答とぞ存ず、男、声を漏らしけむ。

「母の賜わしける傷なり」
 唐突に男が口開く。静けさはゆうらりと、たゆたうらしい。
「私の死ぬれども、私よと、父母に知らし召すため」
 吐息の音。まばたきの音。
「かのごとき異形、殺めらるやもしれぬと」
 朱き髪がさらさらに。男、笑おうとしけむ。
 しかし叶わず。女の涙をご覧ず故に。
 申し訳なくも、愛しく思ほゆ故に。

「ご寝せよ」
 黒き髪をつやつやと撫で、男は囁きけむ。
 朝日はとうとう来る。
 女の首肯する仕草の愛らしけれ。
 目を閉じて、静かに静かに時の流るる。
「なぞ、私の死にたるを知りたしと思すか」
 つぶやき。時の流れて帰らぬ様子は透き通って見ゆ。
 静穏より、女の声が聞こゆ。
「汝兄や、流刑にすら侍りたし」
 女の手が、そぅっと、男の指先に触れるめり。
 甘き香り匂う夢におわしますよう。


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08.03.26