猫と鎖骨

 人間の膝にいると、たくさんのものが見えてくる。漫画、テレビ、携帯電話、パソコン。今は、キーボードを面倒くさそうに叩く指の仕草まで。
「またキーボードに傷が増えてる……。キーボードで遊ぶなって言ったよね?」
 にゃーとしか聞こえないだろうけど、
「遊んでないよ」
「カバーつけても外すし……なんでそんなにキーボード好きなんだか。猫は分からん」
 にゃーとしか聞こえないだろうけど、
「猫というのは、いつだって真剣な生き物なのです」
「あー……。レポートもうやだ……」
 人間には分からないだろうけど。

 飼い主さんがいないのが残念なくらい、とても穏やかな、典型的な昼下がり。うちの爪がキーボードを引っかく、かしゅかしゅかしゅって音以外は静かなものです。今頃、飼い主さんは大学で何してるんだろう。
「で?」
 毛づくろいを終えたフザンが、急に何か言い出しました。いつものことだけど。
「それが真剣?」
 フザンはアゴをしゃくって、うちの方を指しました。
 まぶしいパソコンの画面。タイミング良く出る「3 new tweets」の文字。
「真剣だよ?」
 爪でキーボードを引っかいて押して、
「あ、飼い主のゆらさん、今お昼ご飯だって。またお菓子で済ませてる……」
 そう言って振り返ると、フザンはブスっとした顔でした。いや、生まれつきかな……。
フザンを見てると、元野良ってみんなこうなのかなって、ときどき思う。
 かしゅかしゅかしゅ。
【○○クラスタの人を1人しか知らないと、その1人が冷たいとき、○○クラスタ全員そうなんじゃないかって思っちゃいますね。誤った関連づけってヤツです】
 tweetぽち。
「また俺のことネタにしたな……?」
 した。
「まぁいい。俺はネットしないし。……話そらすな」
「フザンがそらしたんじゃない?」
「お前のは、真剣じゃなくて、単にハマってるって言うんだ」
 先輩猫ってヤツだからって偉そうだなぁ……とは言わないでおく。雄ってこういうことに妙に拘るから。
 それより、
「フザンが『ゆらが外出すると心配だ』って言うから、飼い主さんのtwitter見てるんですけど? NHもアイコンもフザンですよ、愛されてるね、よかったね」
 フザンがまた毛づくろいを始めました。フザンは、愛してるとか好きとか言われるのが苦手なのです。あれです。ツンデレ。
 パソコンに向き直ると、「5 new tweets」
 そのなかに、やけに目をひくアイコンが1つ。白い肌、首すじと鎖骨を写した写真。
【@faisan_neko またお菓子…】
 そうですね、鎖骨さん、酷い話です。
「見るだけなら……なんで自分まで発言してるんだ」
 いつの間にか復活していたフザン、不機嫌な声。
 本当に、酷い話です。
 猫が人を好きになるなんて。

 確かにフザンの言う通り、最初はこっそりパソコンをつけて、twitterのクライエント立ち上げて、飼い主さんのTLを眺めるだけだったのです。
 でも、今では飼い主さんの名前でアカウントとって、同時に公式ページにも繋いで、
「何やってるんだろうって思いますよ。自分でも。人間のフリしてリプライとかして」
「なら止めろ。ゆらもきっとそう言う。子猫は恋なんてしない」
 イラ。
「子猫じゃない。もう2歳だ」
 言っていいことと、悪いことがあるよ! 威嚇してやる。シャー!
「交尾の前に手術したヤツはみんな子猫だ」
 フザンは懲りずに言ってくる。喧嘩するのか!
「先輩だから言ってやってるんだぞ」
 先輩だから何だって言うんだ。
「それに、人間は猫に恋しない」
 フザンに向かって飛びかかると、フザンの先制パンチが逆に決まる。
「鎖骨さん、猫なら恋に落ちるって言った! ゆらは猫だよねって!」
「どこの誰が、本気で猫がネットやってると思うんだ! 人間を飼い主しか知らない癖に」
 フザンは渾身の猫ビンタをバチンと3回決めて、不機嫌な顔を背けました。喧嘩は終 わり。いつもフザンが勝ち逃げする。
 痛いトコ突かれた。お腹痛い。

 のろのろと机に戻って、ブラウザの履歴を消して、パソコンも消す。
 最後に鎖骨さんから何かリプライ来てないかなって見てみたけれど、知らない人か ら「それが少数派への差別を云々」ってQTが1つ来てただけだった。
 しっぽが机を叩く。
 勝手に動くから、しっぽは困ります。
 フザンがニヤって笑う。お前はチャシャ猫か。
 寝よう。機嫌が悪いときは寝よう。
 起きたら、きっと飼い主さんは帰ってるし、また飼い主さんのレポート見てあげて、そしたら寝て、そしたらまた飼い主さんが大学に行って、また、こっそりtwitterしよう。鎖骨さんと冗談の言い合いしよう。
「それくらいいいよね」
 そのつぶやきが聞こえたのか、フザンがフンと鼻を鳴らした。  

 ……。
 ………………。

「おい起きろ」
 暗い部屋。もう夜か。光が少ないから、キジトラのフザンは真っ黒に見えますね。
「なに?」
 睡眠を邪魔されたのはイライラするけど、威嚇できるほど目が覚めてないのがもど かしい。
「ゆらが帰ってこない。餌の時間はもう過ぎた」
 耳をすませて、鼻をくんくんさせて、周囲を見回す。確かにいませんね。
「飼い主さんが、餌をくれないなんて……」
「なにかあったか」
 twitter見てみる? という言葉を飲み込む。喧嘩のことを思い出したから。それに、急に帰ってきたら困ります。
 フザンがヒラリと机に飛び乗って、窓から下を覗く。マンションの玄関が見えるのです。ああして飼い主さんが帰ってくるまで待つつもりなのかな。フザンは結構健気なところがあるから。言ったら怒るけどね。
 飼い主さんが帰ってこなくても、猫にできることはほとんどない。いや、本気になったら警察にメールくらいはできるけど、そういうことじゃない。種族の壁ってヤツだ。人間は、猫の捜索願なんて受け取ってくれない。そういう、なんというか、人間は猫を猫としか見ていないってこと。猫は諦めて待つしかない。猫と人間の関係って、そういう猫の健気さで保たれているんだと思う。
 そういうことをつらつらと考えていたら、鎖骨さんのことに辿り着いて、慌てて思考中断。←イマココ! ……って、頭ぐるぐるなんだか変だ。
「お、帰ってきた」
 その声が無かったら、本当に頭変になてたと思う。
 でも、飼い主さんの表情を見たとき、もう決定的だって分かった。

 飼い主さんは帰ってきて、電気をつけた。瞳をぎゅっと細くする。
 飼い主さんは何も言わなかった。ただいまも、ごめんねも。
 飼い主さんはお酒の匂いがした。
 フザンがすり寄った。飼い主さんがボロボロの餌の袋と、散らばったカリカリを見てから、フザンを撫でた。
 飼い主さんが携帯電話を取り出した。
 操作して、うちの前に置いた。
「監視カメラなんて、感心しません」
 にゃーとしか、聞こえないだろうけど。
 それは今までと変わらないけど、1つ分かるのは、飼い主さんはうちが言い訳してるって、分かっているだろうってこと。
「本当は、あんたたちが心配だから付けたんだけどね。カルマ」
 そう飼い主さんは言って、うちをひと撫でして、パソコンをつけた。
 そしていつものように椅子に座って、ひざをぽんぽんと叩く。登っておいでの合図だ。しかたないです。覚悟を決めて、ジャンプしました。
「カルマのカルマは、カルト・マリーナの略であって、業の意味じゃないんだけどね、そうなっちゃったね」
 飼い主さんはメモ帳を開いて、「打ってごらん」という風にキーボードを指した。
 フザンの方をちらりと見た。フザンはしっぽで床をぱんと叩いた。
【ごめんなさい】
 そう打ち終わったとき、飼い主さんは泣いていた。
 なんで泣いているのか、分からなかった。そもそも、泣きたい気持ちというのがどんなものなのか、知識でしか知らなかった。これが、種族の壁なんだと思う。
「カルマのアカウント見たよ。直さんが好きなんだね。分かるよ、飼い主だから」
 キーボードに目を落とした。よく使うキーだけが傷ついていた。自分は馬鹿だと思った。

 カルマを捨てたりしない。誰にも、もちろん鎖骨さんにも正体をバラしたりしない。そう飼い主さんは約束して、それからベッドに入った。きっと、帰ってくるまで考えていたことなんだ。そこだけ、少し力みすぎてた。分かりますよ、飼い猫なので。
「頭がおかしくなっちゃったのかな」
 そう飼い主さんが小さく漏らしたのが聞こえた。猫の耳のよさも、ときには自慢できません。
 しばらくパソコンの方をじっと見たまま、ぼぅっとしていた。そのうちフザンに叩かれて、額を舐められた。
「食って寝ろ。それが何よりも勝る」
 変なフザン。珍しい。
 でも、それより変な猫、カルト・マリーナ。
 そうだ、twitterは止めよう。
 心配をしたからって、監視するみたいな考えがよくなかったのです。
 冗談の言い合い程度なんだから、フザンが子猫は恋しないって言うし、きっと忘れられる。
 もし、寂しくなって、またやりたくなったら、そのときは恋だ。ちゃんと言おう。
【本当に自分は猫です。嘘ではありません】
 それで、ちゃんと恋を始めたい。
 誇り高い、いつも真剣な猫として。
 ちゃんと、振られたい。


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11.04.22